大竹伸朗「ビル景」1978-2019(水戸芸術館)

大・大・大好きな大竹伸朗さんが水戸芸術館で個展開催となれば”行く”以外の選択肢は無く、予定のアレコレをやり繰りして最終日に滑り込みました。知らない人にはどうでもいいお話ですが、名前だけでも憶えて寝て下さい。

大竹伸朗さんを評するなんて偉そうなことはできませんが、説明するとしても困難な作風だなと思います。水玉のパターンをアイデンティティとしたり、インタラクティブCGでお客さんにオープンであったりすれば、ソレがアレと理解はしやすいのですが、絵画はもとより立体や写真、音、映像など多くのメディア表現を織り交ぜて主張される方ですし、手法としてのコラージュがあったとしてもコラージュ=大竹伸朗とは十分条件を満たしません。いっぱい観てもらって総合的に「ああーこういう人なんだなあ」と感じてもらうのが一番で、そしてそうすることがとても分かり易く、それがあなたにとっての大竹伸朗となるのではないかと思うのです。まあザックリと”現代アートの人”くらいの説明でないと括ることができないのです。

館内風景1

で、そんな大竹伸朗さんがライフワーク的に”ビル”をモチーフとした連作を生み出されていて、シリーズ「ビル景」が2019年ナウまでをまとめて展示するというのですから、2006年に東京都現代美術館で開かれた個展「大竹伸朗 全景 1955-2006」以来の関東開催なのだから、ファンを引き付ける吸引力はダイソンを軽く超え、常磐線に揺られて星間航行並みの速度で駆け付けたくもなるのです。

館内風景2

ただでさえ多作な大竹伸朗さんが自身でも「嫌になる」というほどの600点を超える作品群が並んでいました。時代もあってなどという必要も無く館内は撮影OKで、一番奥にあった1作品のみ撮影禁止でしたが、それもソレとした意図があるだけだと思います。そんなことを気にする大竹伸朗は、私的大竹伸朗ではないので安心しました。最近の展覧会では映えを狙った1作品だけ撮影OKみたいなのが多いのとは反対ですね。とはいえ館内にシャッター音を高らかに響かせて全作を撮りまくるなんて下品なことは止めたほうがいいですよ。

館内風景3

しかしまあ、水戸でも大竹伸朗さんは大竹伸朗さんでした。抽象画とは目の前の対象を略略略とし、残された像を作者と心一致させるスタイルだと思いますし、コラージュとは目の前にあるものを加加加として、結ばれた像を作者と心一致するスタイルだと思うのですが、どちらも略と加を重ねるにつれ他者との共感を振り払うことになるはずで、でもなぜかその作品の中には観る者と心一致する部分があったりして、それが作者の心と同一ではありえませんが、それでも私的心に”くる”作品がが館内一杯に露出してました。心一致なんて言葉はありません。

館内風景4

お客さんに媚びを売るモノは論外ですが、そこに作品があるということは、そこに作者が居るということとほぼ同じで、東京都現代美術館に行った時は実際に大竹伸朗さんが窓際に腰掛けていらして、いただいたサインは家宝なんですが、今展示では霊的な意味じゃなく大勢の大竹伸朗さんが並んでこちらを見ているような圧倒される存在を感じることができる会でした。いつにも増して筋の通った、嘘や商売気の無い、ビルから感じとった大竹伸朗さんの神経がむき出しになっているような、何と言っていいのか分からないヒリヒリさせる純粋なものがそこにはありました。

これは個人的な痕跡として書いています。誰かに何かを言いたいわけでなく、何かを推しつけるものでもありません。ただ、なにかの間違いで気になった人は霊的な意味で大竹伸朗と会い、全身で大竹伸朗を浴してもらえれば、もしかしたら私のように心に”くる”ものが何なのかが分かるかもしれないなと思います。

もしも寝て起きて覚えていたら気にしてみて下さい。