10年目のフクシマ

10年前の3月11日もこんな天気だったのかな?なんて思いながら青い空の下、昨年に完全復旧した常磐線で双葉町へ向かいました。今ではすっかり市民の足として働く常磐線ですが、再建・復旧された駅々は無人駅のままでした。

双葉駅に到着。

左側階段上部のレンガ調の建物が旧駅舎部分

新たに増築された部分が機能を果たし、旧駅舎部分は展示などを行うスペースとして残されていますが、時計はあの時のまま。放射線量を表すデジタルメーターが立っています。隣接する施設では放射能線量測定器の貸し出しをしていましたが、来てしまった以上、測ったところで線量が減るわけもないので今回は借りるのを止めました。ロータリー部分は工事が進行中で、もちろんタクシーの停留も無く、今回の目的の一つ「東日本大震災・原子力災害伝承館」をピストン送迎する無料バスに乗りこみました。電車の発着に合わせて駅と「東日本大震災・原子力災害伝承館」を往復する無料バスの他に、無料のレンタル自転車がありますが、歩いてだと少し遠いです。

意外というか国道には多くの車やトラックが行き来をしていて、あちらこちらで工事をする人々の姿を見ることが出来ますが、もちろん町には生活をしている雰囲気はまだありません。多少の補修がされた建物が並ぶ中を海側へとバスが走っていきます。すると、だだっ広い整地された土地に建った真新しい「東日本大震災・原子力災害伝承館」が見えてきました。

右側が東日本大震災・原子力災害伝承館で、左側は双葉町産業交流センター

「東日本大震災・原子力災害伝承館」の入口で9時のオープンを待っていましたが、同じように開場を待っていたのは10人足らず、一方で詰めかけたテレビクルーは100人以上いて、本番前の準備をドカドカと進めていました。

双葉町産業交流センターから見た東日本大震災・原子力災害伝承館
追悼式の準備が進む産業交流センター

ちょっと経緯をまとめてみます。

2013年5月28日までは双葉町全域が「警戒区域」とされ、作業員など許可を得た者以外の出入が禁止されていました。

2013年5月28日に区域再編され、双葉町の海沿い北部のエリア(中野地区、両竹地区、中浜地区)が「避難指示解除準備区域」とされ、自宅への寝泊まりは原則として認めないものの、一時帰宅のほか事業再開や営農・営林の再開などを認めると指定した地域となりました。残りのエリアは「帰還困難区域」として将来にわたって居住が制限されたままです。ちなみに、この段階で双葉駅は長塚地区にあるため「帰還困難区域」。

この決定をうけて中野地区を中心に双葉町の産業復興計画がなされ2017年3月23日に「※双葉町産業交流センター」の設立が決定。平行する形で「※東日本大震災・原子力災害伝承館」の構想もまとめられました。※それぞれ名称は後に決められたもの

2019年2月9日「双葉町産業交流センター」起工式

2019年4月16日「東日本大震災・原子力災害伝承館」起工式

この間に常磐線で利用不可となっていた、夜ノ森駅、大野駅、双葉駅のそれぞれ駅周辺に限り「帰還困難区域」から除外されることが決まり

2020年3月14日に常磐線が全線で運転を再開。コロナの影響があったりで延期もありつつ

2020年9月20日「東日本大震災・原子力災害伝承館」開館

2020年10月1日双葉町産業交流センター」開所

と、こんな感じです。

この経緯をみるに、優先的に除染なんかもしたりして、政治的計画性をもって展開されたであろうことは想像に難しくありません。特に国が約53億円をかけて建てられ、あちこちから批判が渦巻く「東日本大震災・原子力災害伝承館」ですが、入館料は大人1名600円です。個人的な感想としては「地震も原発もまとめて天災で、こんなひどいことになりました」という客観姿勢がうかがえる内容で、そもそも”伝承”をうたう館内は撮影禁止という”入場料払ったら見せてあげるけど人には見せないでね”という建付けはいかがなものか?と思いました。映像などの権利問題があるという話なのかもしれないんですけど、権利主張されるようなものを集めるのは前提姿勢として変だなと感じざるをえません。

なにより双葉町民のみなさんが安心して戻ってこれるのはまだまだ先の話だという事実は依然とあって、今後はそちら側の復興を優先して進められることを願います。

双葉町産業交流センター内「せんだん亭」の浪江焼きそば

その後、常磐線で浪江駅までいきました。

浪江駅前ロータリー

浪江駅は先だって2017年4月1日に営業を再開しましたが無人駅のまま、閉じられたままの”みどりの窓口”が物寂しい感じ。

駅前ロータリーには住民の方と思われる車が往来していますがタクシーはありません。駅前には様々なお店、飲み屋街などもあったようです。多くのお店には閉店・移転を案内する張り紙があり、コロナ禍の追い打ちもあっての決断である内容が記されていました。

町を散策しながら「道の駅なみえ」に向かいます。

道の駅なみえ入口
かなり広い「道の駅なみえ」。奥の棟は3/20グランドオープン

浪江町はホテルなんかも営業してますし住民の生活感もあります。もともと浪江町は規模としても大きく、B1グランプリでゴールドグランプリ獲得の「なみえ焼きそば」や銘酒、民芸など色々な産業がありました。DASH村があったことでも有名ですね。

2019年3月31日に浪江町一部の全域避難指示が解除され、現在も山間部を中心に多くの地域が「帰還困難地域」のままとなっていますが、すでに避難解除区域には1000人以上の住民が戻ってきているそうです。

その中でも復興のシンボルとして始まったのが「道の駅なみえ」です。2020年8月のスタートから徐々に営業店舗も増え、2021年3月20にはあの「無印良品」なども参入してグランドオープンをするそうです。

とはいえ現段階でも多くのお土産ものが並べられ、飲食スペースでも様々なメニューが準備されています。コロナ対策もバッチリされていて、何を買うか、何を食べるか悩みます。

「道の駅なみえ」フードスペースの自魚の海鮮ちらし

この施設だけでなく、周辺には飲食店なども通常どおりに営業をしており、現場作業をされる人々だけでなく、観光としての受け入れも十分に整ってきているんだなと感じました。そしてお土産を買いこみ、しばらく町をうろつき帰路につきました。

今回もまた、日帰りでチラッと立ち寄っただけで何が分かったわけでは無いですが、画面を通して知らされる情報では得られない実際の姿を肌で感じることはできました。以前に訪れた各所を振り返っても、ほとんどの地域で復興はまだまだ始まったばかりだという印象で、間違っても仕上げの段階にあるはずも無く、特に今回の双葉町や、ひいては大熊町などは始まってもいないと言っていいくらいだということ。10年も経ったのだからそれなりに変わっているだろうと思いがちな情報だけでは見えてこない現実が感じられて良かったなと思いました。

焼きそばも海鮮ちらしも美味しかったな。

宮城県の女川町へ行ってきました

いつもそうなのですが前準備はほとんどせずに訪れるスタイルです。

3/11の3日前、3/8日曜日の朝6時に石巻駅へ到着したのですが、石巻駅から終点の女川駅へと向かうJR石巻線の始発は7時。何をすることもできない時間をつぶして待つことにしました。

JR石巻駅

「石ノ森萬画館」を擁する石巻市は、町中が多くの石ノ森章太郎キャラクターに彩られています。「石ノ森萬画館」は青春時代の思い出の多くを石巻市に持つ、宮城県出身の漫画家”石ノ森章太郎”さんが市とタッグを組んで設立されたマンガミュージアムです。ちょっとビックリするくらい多くのキャラクターがあちらこちらにいますね。

石ノ森キャラクター達

結局なんやかんや路線トラブルもあって、始発電車は8時10分に出発しました。

石巻→女川までは約25分

初めて訪れた女川町の第一印象は「綺麗な町だなあ」でした。まるでリゾート地かと思うような綺麗さで町がデザインされており、駅員さんはいませんが温泉の併設されたオシャレな駅舎です。

駅併設の女川温泉「ゆぽっぽ」

駅を出れば綺麗に舗装された道が、まっすぐ港へ続いており、両サイドはウッド調でデザインされた「シーパルピア女川」という商店街になっています。

女川駅から港へと続く道

商店街を抜けて信号を渡ると、港へ向かう道の途中に、ひっくり返った”旧女川交番”があります。こんな2階建て鉄筋コンクリートを転がしてしまう巨大なエネルギーに恐ろしさを感じます。

震災遺構「旧女川交番」

旧女川交番を取り囲むようにスロープが整備され、スロープの壁にはかつての女川町から現在までの歴史が時系列にそって写真付きパネルで解説がされています。ちょうど数日前に公開されたばかりだったこともあり、この日も朝から地元の方々が多く訪れて「懐かしいね」「大変だった」と写真を指しながら語られていました。タイミング的にテレビカメラを抱えた人もパラパラといましたね。

商店街に戻ると雨が降り始めました。ほとんどのお店が開くまでには時間があったので、雨宿りがてらコーヒーを飲んで「本当に綺麗に整備されてるなあ」と通りを眺めていました。

Mother Port Coffee 女川店

10時すぎ、徐々にお店が開店をはじめます。「やっぱり港町なら魚介だろ」ということで朝昼兼用ごはんを食べることにしました。

「お魚いちば おかせい 女川本店」

獲れたての魚介類ががこれでもか!と盛られた丼は壮観で、どれも新鮮そのものといった色とりどりのネタが盛りつけられています。バツグンに美味しかったです!!

「特選女川丼」

こちらの「お魚いちば おかせい 女川本店」さんは港を望む見晴らしのよい立地で、魚介類を直販するお店も併設されていて、あれこれ目移りしながらお土産を買い込みました。

外に出ると雨は本降りに変わっていました。新型コロナの影響があるのか、まだ時間が早いからなのか、雨だからなのか、お昼を回ってもお客さんはまばらにしかいませんでしたねえ。

雨が降る「シーパルピア女川」

あれから9年が経った女川町。

被災率日本一という悲しい数字で称された町の面影はほとんど見当たらず驚きました。比べるものではありませんが、町の規模としてなのか仙台という大都市が近いからなのか、これまで回ってきた市街地よりも圧倒的に復興・再生が進んでいるような気がしました。お金をかけて綺麗に整備すれば復興完了なのかといった意見もあるでしょうし、住民のみなさんの気持ちがいまだ癒えてなどいないのは当り前なのですが、悲しい傷跡がむき出しで横たわっているようなことは無く、パッと見では再生の木が育っている感じがしました。よく見れば真新しい墓石が並んでいたり、不自然さを感じる部分もまだあります。そしてそういった部分もいずれ自然に馴染んでいくのでしょうが、そこで確かに起こった出来事が無かったことになるわけはなく、よそ者であるからこそ忘れないようにしないとなと思いました。

もちろん帰りには女川温泉でゆっくり温まりました。