宮城県の女川町へ行ってきました

いつもそうなのですが前準備はほとんどせずに訪れるスタイルです。

3/11の3日前、3/8日曜日の朝6時に石巻駅へ到着したのですが、石巻駅から終点の女川駅へと向かうJR石巻線の始発は7時。何をすることもできない時間をつぶして待つことにしました。

JR石巻駅

「石ノ森萬画館」を擁する石巻市は、町中が多くの石ノ森章太郎キャラクターに彩られています。「石ノ森萬画館」は青春時代の思い出の多くを石巻市に持つ、宮城県出身の漫画家”石ノ森章太郎”さんが市とタッグを組んで設立されたマンガミュージアムです。ちょっとビックリするくらい多くのキャラクターがあちらこちらにいますね。

石ノ森キャラクター達

結局なんやかんや路線トラブルもあって、始発電車は8時10分に出発しました。

石巻→女川までは約25分

初めて訪れた女川町の第一印象は「綺麗な町だなあ」でした。まるでリゾート地かと思うような綺麗さで町がデザインされており、駅員さんはいませんが温泉の併設されたオシャレな駅舎です。

駅併設の女川温泉「ゆぽっぽ」

駅を出れば綺麗に舗装された道が、まっすぐ港へ続いており、両サイドはウッド調でデザインされた「シーパルピア女川」という商店街になっています。

女川駅から港へと続く道

商店街を抜けて信号を渡ると、港へ向かう道の途中に、ひっくり返った”旧女川交番”があります。こんな2階建て鉄筋コンクリートを転がしてしまう巨大なエネルギーに恐ろしさを感じます。

震災遺構「旧女川交番」

旧女川交番を取り囲むようにスロープが整備され、スロープの壁にはかつての女川町から現在までの歴史が時系列にそって写真付きパネルで解説がされています。ちょうど数日前に公開されたばかりだったこともあり、この日も朝から地元の方々が多く訪れて「懐かしいね」「大変だった」と写真を指しながら語られていました。タイミング的にテレビカメラを抱えた人もパラパラといましたね。

商店街に戻ると雨が降り始めました。ほとんどのお店が開くまでには時間があったので、雨宿りがてらコーヒーを飲んで「本当に綺麗に整備されてるなあ」と通りを眺めていました。

Mother Port Coffee 女川店

10時すぎ、徐々にお店が開店をはじめます。「やっぱり港町なら魚介だろ」ということで朝昼兼用ごはんを食べることにしました。

「お魚いちば おかせい 女川本店」

獲れたての魚介類ががこれでもか!と盛られた丼は壮観で、どれも新鮮そのものといった色とりどりのネタが盛りつけられています。バツグンに美味しかったです!!

「特選女川丼」

こちらの「お魚いちば おかせい 女川本店」さんは港を望む見晴らしのよい立地で、魚介類を直販するお店も併設されていて、あれこれ目移りしながらお土産を買い込みました。

外に出ると雨は本降りに変わっていました。新型コロナの影響があるのか、まだ時間が早いからなのか、雨だからなのか、お昼を回ってもお客さんはまばらにしかいませんでしたねえ。

雨が降る「シーパルピア女川」

あれから9年が経った女川町。

被災率日本一という悲しい数字で称された町の面影はほとんど見当たらず驚きました。比べるものではありませんが、町の規模としてなのか仙台という大都市が近いからなのか、これまで回ってきた市街地よりも圧倒的に復興・再生が進んでいるような気がしました。お金をかけて綺麗に整備すれば復興完了なのかといった意見もあるでしょうし、住民のみなさんの気持ちがいまだ癒えてなどいないのは当り前なのですが、悲しい傷跡がむき出しで横たわっているようなことは無く、パッと見では再生の木が育っている感じがしました。よく見れば真新しい墓石が並んでいたり、不自然さを感じる部分もまだあります。そしてそういった部分もいずれ自然に馴染んでいくのでしょうが、そこで確かに起こった出来事が無かったことになるわけはなく、よそ者であるからこそ忘れないようにしないとなと思いました。

もちろん帰りには女川温泉でゆっくり温まりました。

大竹伸朗「ビル景」1978-2019(水戸芸術館)

大・大・大好きな大竹伸朗さんが水戸芸術館で個展開催となれば”行く”以外の選択肢は無く、予定のアレコレをやり繰りして最終日に滑り込みました。知らない人にはどうでもいいお話ですが、名前だけでも憶えて寝て下さい。

大竹伸朗さんを評するなんて偉そうなことはできませんが、説明するとしても困難な作風だなと思います。水玉のパターンをアイデンティティとしたり、インタラクティブCGでお客さんにオープンであったりすれば、ソレがアレと理解はしやすいのですが、絵画はもとより立体や写真、音、映像など多くのメディア表現を織り交ぜて主張される方ですし、手法としてのコラージュがあったとしてもコラージュ=大竹伸朗とは十分条件を満たしません。いっぱい観てもらって総合的に「ああーこういう人なんだなあ」と感じてもらうのが一番で、そしてそうすることがとても分かり易く、それがあなたにとっての大竹伸朗となるのではないかと思うのです。まあザックリと”現代アートの人”くらいの説明でないと括ることができないのです。

館内風景1

で、そんな大竹伸朗さんがライフワーク的に”ビル”をモチーフとした連作を生み出されていて、シリーズ「ビル景」が2019年ナウまでをまとめて展示するというのですから、2006年に東京都現代美術館で開かれた個展「大竹伸朗 全景 1955-2006」以来の関東開催なのだから、ファンを引き付ける吸引力はダイソンを軽く超え、常磐線に揺られて星間航行並みの速度で駆け付けたくもなるのです。

館内風景2

ただでさえ多作な大竹伸朗さんが自身でも「嫌になる」というほどの600点を超える作品群が並んでいました。時代もあってなどという必要も無く館内は撮影OKで、一番奥にあった1作品のみ撮影禁止でしたが、それもソレとした意図があるだけだと思います。そんなことを気にする大竹伸朗は、私的大竹伸朗ではないので安心しました。最近の展覧会では映えを狙った1作品だけ撮影OKみたいなのが多いのとは反対ですね。とはいえ館内にシャッター音を高らかに響かせて全作を撮りまくるなんて下品なことは止めたほうがいいですよ。

館内風景3

しかしまあ、水戸でも大竹伸朗さんは大竹伸朗さんでした。抽象画とは目の前の対象を略略略とし、残された像を作者と心一致させるスタイルだと思いますし、コラージュとは目の前にあるものを加加加として、結ばれた像を作者と心一致するスタイルだと思うのですが、どちらも略と加を重ねるにつれ他者との共感を振り払うことになるはずで、でもなぜかその作品の中には観る者と心一致する部分があったりして、それが作者の心と同一ではありえませんが、それでも私的心に”くる”作品がが館内一杯に露出してました。心一致なんて言葉はありません。

館内風景4

お客さんに媚びを売るモノは論外ですが、そこに作品があるということは、そこに作者が居るということとほぼ同じで、東京都現代美術館に行った時は実際に大竹伸朗さんが窓際に腰掛けていらして、いただいたサインは家宝なんですが、今展示では霊的な意味じゃなく大勢の大竹伸朗さんが並んでこちらを見ているような圧倒される存在を感じることができる会でした。いつにも増して筋の通った、嘘や商売気の無い、ビルから感じとった大竹伸朗さんの神経がむき出しになっているような、何と言っていいのか分からないヒリヒリさせる純粋なものがそこにはありました。

これは個人的な痕跡として書いています。誰かに何かを言いたいわけでなく、何かを推しつけるものでもありません。ただ、なにかの間違いで気になった人は霊的な意味で大竹伸朗と会い、全身で大竹伸朗を浴してもらえれば、もしかしたら私のように心に”くる”ものが何なのかが分かるかもしれないなと思います。

もしも寝て起きて覚えていたら気にしてみて下さい。