今年は石巻と南三陸町へ久しぶりに行ってきました。
最初に、JR仙台駅から仙石線でJR石巻駅へと向かいました。
石巻駅からはJR石巻線で小牛田(こごた)方面へ進み、前谷地(まえやち)駅で気仙沼線へ乗り換え、南三陸町へと向かうルートを選びました。気仙沼線は東日本大震災後に柳津駅から先の南三陸町方面へはBRTというバスへ乗り換えて進むルートです。
JR石巻駅に着きました。
石巻といえば、漫画家の故石ノ森章太郎ゆかりの地として有名です。
駅前通りをはじめ各所にサイボーグ009や仮面ライダーのキャラクター像が点在しています。
駅前から旧北上川の方へ少し歩けば、石ノ森漫画のミュージアム「石ノ森萬画館」があるのですが、生憎この日は空調設備整備工事ということで臨時の休館となっていました。
「石ノ森萬画館」は旧北上川の中州にあります。川を下るように日和山の脇を通って海へ向かうと河口西側に南浜町と門脇町、雲雀野町からなる南浜地区が広がっています。
東日本大震災時、この南浜地区は地震、津波、火災、地盤沈下の被害を複合的に受けており、震災被害を象徴するエリアでもあります。およそ2000世帯、約4000人が暮らしており、そのうち約500人が犠牲となった最も被害が集中したエリアです。
以前より河口に架かっていた日和大橋に加え、一段北側に「石巻かわみなと大橋」が造られました。この復興支援金を活用して造られた石巻かわみなと大橋は、通常は南浜地区と河口東側の湊地区を結ぶ物流の要として、災害時には避難路として期待され2022年3月に開通しました。
この地区は現在、門脇町2丁目~5丁目までが土地区画整理事業で「新門脇地区」とされ、復興記念公園として綺麗に整備されています。新門脇地区の南側の日和山際には石巻での震災を象徴する震災遺構「門脇小学校」が保存されており、門脇小学校の前を東西に走り石巻かわみなと大橋へと接続する道は高盛り土道路として波防の役割をもって整備されています。
震災による損傷が深刻で、また避難の後に児童の増加ものぞめなかった門脇小学校は震災遺構としての保存が決定されました。
地元ではその辛さから早期の解体を望む声もありました。しかしながら後世への教訓として残すことを石巻市は選択し、維持管理費の軽減も考慮して限定範囲での保存としたそうです。遺構として残すかどうかの判断は、被災した各地によって変わりますし、外部の人間がどうこう言えることではありません。残したい、残したくないの気持ちと維持管理費とのバランスからそれぞれの結論が出されるわけで、昨年の大槌町役場の判断も当然に議論が尽くされた結果として尊重したいなと思いました。
震災遺構「門脇小学校」では、震災で火災が発生した校舎部分のうち中央部分を残して補強し、両サイド部分は解体され2022年4月3日に一般公開されました。被害の少なかった特別教室棟と体育館は展示スペースとなり、被災した消防車や遺された品々、応急仮設住宅などをみることができます。
門脇小学校の西側には「MEET門脇」という震災伝承交流施設があります。
MEET門脇は、震災前後の人々の避難状況などに焦点を当て、震災が起きた時に人々がどう振舞ったのかを生々しく提示することで、後の教訓とすることが学べる施設です。被災者遺族の方のリアルな声には思わず言葉を失いました。
旧門脇小学校とMEET門脇と道を隔てた海側が「石巻南浜津波復興祈念公園」となりす。
高盛り土道路を隔てた海側の南浜町と雲雀野町は居住不可地区となり石巻南浜津波復興祈念公園が造られました。公園内唯一の建物である「みやぎ東日本大震災津波伝承館」があります。国営施設のため門脇小学校やMEET門脇と内容的に重なる部分もありますが、多目的に利用されるスペースなどもあって多くの人々が足を運ぶことになるでしょう。他にも各区画ごとに様々な施設やエリアが用意されています。全体的には整地がなされ区画も整理され、植樹も若く今後は様々な活動の場となっていく予定とのことです。
石巻南浜津波復興祈念公園はコロナ禍もあって2021年6月に開園し、震災遺構の門脇小学校は2022年4月に一般公開されました。東日本大震災後、10年以上かけてやっと整備されたのです。石巻は被災した市町村の中でもダントツで津波浸水範囲が広く復興にはどれだけの時間を要するのか心配されており、10年以上の時間を経てやっと輪郭に実線が引かれたような段階まで戻ってきたように感じました。一見すれば遺構以外で震災の傷跡は見つけられませんが、活気と呼ぶにはまだまだ薄い雰囲気もあり、かつての風光明媚で豊富な漁場として、工業港を中心に発展した工業都市としての石巻となるにはまだまだ時間が必要だといえるでしょう。
石巻を離れて南三陸町へ向かいます。
前谷地駅から気仙沼線へ乗り換え、柳津駅からBRTに乗って南三陸町を代表する商店街「南三陸さんさん商店街」の最寄り「志津川駅」で下車しました。
前に訪れた時にはプレハブで代用された駅舎でした。
南三陸町は新たな中心街のグランドデザインを国立競技場のデザインでも知られる有名建築家の隈研吾さんに依頼しました。隈氏は「南三陸さんさん商店街」「中橋」「南三陸町東日本大震災伝承館 南三陸311メモリアル」の、いわゆる隈研吾3部作として受注。町を象徴する施設群の誕生となったのです。
2012年に仮設商店街として開かれた「南三陸さんさん商店街」は、先だって2017年3月3日(さんさん)にリニューアルオープン。
次いで2019年9月、町内を流れる八幡川(志津川)に架けられる「中橋」を竣工。
最後に2022年10月、志津川駅舎を含む「南三陸町東日本大震災伝承館 南三陸311メモリアル」がオープンし、3部作が完成しました。
あまりに綺麗になっていてビックリしました。
「南三陸町東日本大震災伝承館 南三陸311メモリアル」では、地域住民の被災体験をもとに防災について共に考え、被災からの復興を目指して後の世代へ受け継ぐことを目的とした展示や取り組みがなされています。
レンタルサイクルで町を見て回りました。
かつて商店街にあった南三陸町のアイコンでもあるモアイ像が海の方へ移動されていました。
津波による被災をきっかけに南三陸町とチリ共和国が結んだ友好の証としてのモアイ像。
お昼を過ぎて前回と同じ松原さんで昼食をいただきました。変わらず美味しい!
南三陸に来たらコレですね。
あの時と変わらない姿の南三陸震災遺構「高野会館」です。
市街地であった場所が整備され、2020年10月に南三陸震災復興祈念公園が開園しました。園内には、小高い祈りの丘には津波記憶石(犠牲者の名簿を格納するモニュメント)が設置され、記念碑、かつて南三陸町防災対策庁舎であった震災遺構「旧南三陸町庁舎」があります。
この日、震災遺構「旧南三陸町庁舎」にも献花台が設けられ多くの人が訪れていました。
5年前と比べて町を見渡せば、むき出しだった旧市街地や道が綺麗に整備され、これから新たに発展していく町のような雰囲気になっていました。
前回もレンタルサイクルで回りましたが、今回はレンタルサイクルが商店街内にある写真店さんが3台ほど貸し出しているのみで、台数は随分減っていました。これは多くの人は車で訪れ、道路が整備されたことから悪路に強い自転車の需要が減ったのだろうと想像します。
また町内を流れる八幡川(志津川)の両岸はしっかりと護岸整備され、南三陸震災復興祈念公園をはじめ明確に区画され、インフラは整ったと思える段階にきたのかなと思いました。しかし、区画された中は未だ埋まっておらず、人が戻ってきたと言えるまでには多くの時間が必要であるようにも思いました。その点で、石巻と比べるとようやく3合目といった感じでしょうか。早く生まれ変わった町を見てみたいと思いました。
13年。震災後に生まれた子供が中学生になる時間が流れました。この時間が復興を果たすのに多いのか少ないのか分かりません。被災地それぞれにとっても復興の進捗は違いますが、外殻が整ったからといって昔のように人が戻ってきたところは無いのではないかと思います。また多くの時間は被災された人の中でも気持ちの変化を生み、3月11日にだけ押し寄せるマスコミから距離をとって、追悼式は内々で行いたいといった意見も出はじめたようです。いつまでも傷を傷として扱われることに抵抗を感じる気持ちはとても理解できるものです。毎年各被災地におじゃまする当HPも、町の雰囲気の変化にとどめ、追悼式や被災者の方にカメラを向けることは控えていかないとなと気づかされ戒めました。
とはいえ海鮮がとても美味しい南三陸町。また来たいなと思いました。